沖縄市の概要
沖縄市は、その沖縄本島の中部東海岸側にあり、県都・那覇市に次ぐ第二の都市として、中部地域の行政・経済の中心地となっています。古くは越来村と称していましたが、第二次世界大戦後、米軍の指令により、「胡差(コザ)市」となり、米軍相手の商業を中心に発展しました。昭和49年(1974年)に「沖縄市」が誕生し、伝統文化と異文化が渾然となって、民謡・ロック・ジャズなどの多彩な音楽や、舞台芸術、ファッションなど、独自の文化風土を生み出しています。
沖縄のあゆみ
沖縄市の前身は、琉球王国時代の越来間切と美里間切(1666年に越来間切から分離)でした。越来間切と美里間切は廃藩置県後、明治41年(1908年)に施行された、「沖縄県及島嶼町村制」により、越来村・美里村となりました。
昭和20年(1945年)の沖縄戦では、当時の市域人口の約1/3にあたる5,300人が犠牲となり、移民先のサイパンやテニアンなどでも両村の出身者の多くが犠牲になりました。戦後は、米軍政府によって収容所を拠点に地域の整備が図られ、その結果、旧越来村地域に古謝市(胡差市)が誕生しました。旧美里村地域は前原市に吸収されましたが、昭和21年(1946年)に行政機構の改革により、美里村・越来村が再び誕生しました。
昭和23年(1948年)になると、大きな台風が二度にわたって沖縄を襲い、米軍施設の大半が破壊されました。再建のために膨大な基地建設予算が投入され、本格的に基地建設が始められると、県内外から職を求めて多くの人が集まり、基地に沿って市街地が形成されました。こうして越来村は、人口の急増とともに都市化が進行し、昭和31年(1956年)に「コザ」と名称を変え、市となりました。
コザ市・美里村は嘉手納基地に隣接していたことから、それに派生する事件・事故が頻発し、昭和45年(1970年)には、米軍人の交通事故処理に端を発した米軍車両焼き討ち事件(コザ騒動)が起こりました。この事件は、長期にわたる異民族統治下にあった沖縄人の人権拡大・復帰運動に大きな影響を与えました。
沖縄の日本復帰直後の昭和49年(1974年)、コザ市と美里村の合併により「沖縄市」が誕生し、寛文6年(1666年)の分離から300年余をかけての再合併となりました。以降、沖縄市は基地経済からの脱却を目指し、社会資本の整備を進めるとともに、商店街の近代化をはじめ、「全島エイサーまつり」の開催、「市民平和の日」の制定など、新しいまちづくりに取り組んできました。21世紀を迎えた現在、「国際文化観光都市」の実現に向けて、「東部海浜開発事業」・「こども未来ゾーン整備事業」・「中の町再開発事業」などの諸事業に取り組んでいます。
沖縄の名前の由来
沖縄の地名については、「首里の港であった泊の安里川の河口“オキナワノ嶽”に由来する」という説が有力とされています。また、「沖縄市」は、中頭市・コザ市・沖縄市の候補から、“沖縄の中心都市に”との願いから選定されました。
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沖縄市立郷土博物館 |
| 住所: |
沖縄市上地2-19-16 [地図を見る] |
| 電話番号: |
098-932-6882 |
| 開館時間: |
9:00〜17:00
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| 休館日: |
毎週月曜日、祝日慰霊の日、年末年始 |
| 入館料: |
無料 |
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